大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

千葉地方裁判所松戸支部 昭和38年(わ)43号 判決

被告人 伊藤健三

主文

被告人を死刑に処する。

理由

罪となるべき事実

被告人は、昭和三九年四月一一日午後六時頃から松戸市竹ケ花四〇番地所在京成建設飯場内の土工曾屋栄二方において土工仲間四、五名と共に飲酒酩酊した後、同日午後七時半過ぎ頃、右曾屋の長女A子(当五年)を連れ出して附近の菓子店でチヨコレートを買い与えるなどしているうちに、劣情を催し同女を姦淫しようと思い立ち、同女を同市小根本五九番地附近の山林に連れ込んだが、怯えた同女が泣き叫んで暴れたため、これを抑圧して姦淫を遂げようと決意し、同女を同山林内のくさむらに仰向けに寝かせ、同女を死に致す強い危険あることも意に介さず、敢えて両手で同女の首を絞扼してその泣き叫ぶを阻止しながら、強いて姦淫を遂げ、且つ右絞扼により同女をその場において死に致したものである。

証拠の標目〈省略〉

「本件犯行当時被告人は心神喪失ないし心神耗弱の状態にあつた」旨の弁護人の主張に対する判断

被告人は、本件犯行当日、工事現場での終日の労働に疲れて飯場に帰り、夕食前の空腹のままで、土工仲間五名と共に清酒二升近くを飲み、被告人自身が飲んだ酒量は少くも四合を下らなかつた、と認められることと、当裁判所の依嘱により被告人の精神鑑定に当つた青木義治・中田修・竹山恒寿の三鑑定人が各作成した鑑定書の記載に見られる飲酒実験の際の被告人の酩酊の推移状況とに徴すれば、被告人は判示の如く被害者A子を連れ出してチヨコレートを買い与えた頃には相当高度の酩酊状態にあつたことは殆んど疑いなく、それに、被告人が、姦淫の対象として甚だふさわしさを欠く僅か五歳の幼女である被害者A子を選び、しかも異常に粗暴残忍な態様の姦淫を遂行して同女を殺害しているばかりでなく、この重大な犯行を敢えてしながら犯行直後平然として被害者の親達も共に住む飯場に戻つて就眠している、など常識的には理解に苦しむ行動を重ねている事実を見るときは、本件犯行当時被告人が酩酊のため異常な精神状態にあつたのではないか、との疑いは一応避け難いところである。それ故当裁判所は前記三鑑定人に依嘱して三回に亘り本件犯行当時における被告人の精神状態を鑑定したのであるが、その結果、青木鑑定人は「犯行当時の被告人の酩酊はかなり深刻なもので、その意識野は狭窄され、意識障害に加え認識判断抑制の精神機能の著しい低下を示し、精神医学的に見て、その状態は精神の障害により是非の弁別に従つて行動する能力が相当高度に低下していたものと考えられる」と言いながらも「それは行為に対する責任負荷の適格性を欠く程度に至つていたとは考えられない」と判断し、竹山鑑定人も「犯行時において被告人は身体麻痺に比し精神麻痺が深刻な酩酊状態を発しており、その酩酊状態は純理的にいえば、意識のくもりと剌戟的気分があり、認識判断抑制の麻痺があつて、弁別や弁別に基づいて行為する能力に著しい支障があつたといえる」となしながらもなお「これを精神障害として扱うのは妥当でない」との判断を示し、また中田鑑定人は、犯行前後における被告人の見当識障害及び身体的麻痺症状の欠如・犯行後における被告人の終末睡眠及び犯行前後の事実に関する殆んど完全な健忘の各存在並びに犯行に関する了解困難の存在など病的酩酊の諸徴表が存在するかまたは存在する公算が大であるとして「被告人は本件犯行当時病的酩酊の状態にあつたものと推定される」との判断を示しているが、なお酩酊時の犯罪に対する負責適格有無の判断はその酩酊状態に関する精神医学上の判断とは別個の考慮を要する面があることを指摘しているのである。ところで、本件犯行の経過態様を考察し、特に被告人が姦淫という目的ある行動を進めてこれを遂行し、しかもその犯行の場所としてこれに適当する人気のない淋しい現場の選択をも行つていることなどに鑑みれば、被告人が犯行当時、前記鑑定人等の言う如く、かなり深刻な酩酊状態にあつて認識判断抑制の精神的機能が相当低下していたとしても、なお粗大ながら事理を弁別しその弁別に従つて行為する能力を保有していたことは否定し得ないところであり、そして、被告人が姦淫の対象として甚だふさわしさを欠く被害者A子を選びしかも異常に粗暴残忍な態様の姦淫を遂行して同女を殺害するに至つたのは、青木鑑定人の見解にも示されている如く、被告人が酩酊時の精神変化のうちに突如発呈した強い欲動に対し抑制力乏しく、短絡的に身近かにいた右A子を捉えてその欲動実現の対象とし、欲動実現行為に際し怯えて泣き叫ぶA子の態度に感情緊迫して衝動的に粗暴残忍な行動を敢えてする結果となつたものであり、また被告人が犯行直後平然としてA子の親達も共に住む飯場に戻つて就眠したのは、犯行遂行後の緊張緩和により急速に深刻な酩酊状態を発し、前後の思慮も失われ、ひたすら帰住本能にひかれた結果である、と理解するのが相当であると考えられるのである。当裁判所は、本件犯行当時における被告人の精神状態が前記の如く粗大ながら事理を弁別しその弁別に従つて行為する能力を保有していたと認められること、そして被告人の犯行前後における一見不可解に思われる行動も上述の如く理解し得ることの外、本件犯行当時における被告人の酩酊状態に関する前記鑑定人等の見解並びに酩酊は自招にかかるしかも一過性の精神機能の低下状態であることや、被告人が前に酩酊時に粗暴事犯に及んだ経験があつて酩酊時の自己の危険性を知つていたと見られること、などを総合考察した結果、本件犯行当時における被告人の精神状態は刑法三九条に言う心神喪失ないし心神耗弱の状態に該当するとは認むべきでない、との結論に達したので、弁護人のこの点に関する主張は排斥することとした。

法令の適用

被告人の判示所為は刑法一八一条一七七条後段に該当すると同時に同法一九九条に該当するので、同法五四条一項一〇条により重い右一九九条該当の罪の刑に従い、所定刑中死刑を選択して被告人を処断し、なお刑事訴訟法一八一条一項但書により被告人に訴訟費用を負担させないこととする。

(裁判官 斎藤孝次 宮崎昇 立沢貞義)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例